最高エネルギーで最極微の世界に挑戦するLHC計画:その3

〜国際分業で建設が進むアトラス実験装置〜

2005.5.19 by T. Kondo
建設が進むアトラス実験装置
LHC加速器では7兆電子ボルトの陽子同士の正面衝突が1秒間に10億回起こります。 1回の衝突では100個の粒子が作られます。これらの膨大な数の粒子の中からごく稀に しか発生しないヒッグス粒子やSUSY粒子を捕らえることは、かなりの技術的チャレンジ です。2つの実験装置「アトラス」と「CMS」は、2007年の完成をめざして現在建設中です。 日本が参加するアトラス実験(図1)には33カ国から1500人を越える研究者が参加しています。 以下では日本が分担している部分を紹介します。

1224台のワイヤーチェンバーの製造が終了:
毎朝9時からKEKの富士実験室では13人の人がワイヤーチェンバー作りを始めます。エポキシ 接着剤を塗ってフレームを接着し、直径50μのタングステンワイヤーを自動機で巻いて半田 付けし(図2)、水洗いして乾燥したら3KVの電圧をかけてチェックし、カバーを接着して コネクターを付ける・・・・など一連の手作業が分業で進んできました。1日に2台のチェンバー が作られます。この製造は2001年度に始まり2004年度に終了しました。チェンバーは製造後、 神戸大学に輸送され、宇宙線を使って全数の性能検査が行われ、98%以上のチェンバーが合格しました。 製造過程において1.5m大のチェンバーの平面性を200ミクロン以内に抑えるとか、 工程毎に多くの検査を入れるなど、徹底した品質管理がこのよい成績をもたらしたものと言えます。  すでに大半のTGCチェンバーは神戸港から海上輸送でCERNに届けられ、アトラス実験装置への 組み込み作業がCERNで始まっています。

980台のシリコン検出器モジュールの高精度組立が終了:
日本ではKEKの技術指導の下、組み立て会社において図3のような4枚のシリコンマイクロストリップ 検出器センサーを一つに組み合わせた「モジュール」の量産を行ってきました。アトラス測定器の 内部飛跡検出器のバレル部では2112台のモジュールを必要としスペアを含めて2600台を製造しました。 そのうち日本チーム(KEK素核研・筑波大・岡山大・広島大)が980台の製造・組立・検査を行いました。 読み出しLSIチップはフランス製、センサーとハイブリッド基板は日本製、熱伝導板はアメリカ製の材料を CERNで加工したものです。モジュール1台につき3日にわたる複雑な接着作業と約5千本の ワイヤーボンディングが必要でした。組立てには1ミクロン以下の精度が要求され、慎重で熟練した 手作業の連続でした。組立てられたモジュールはKEKに運ばれて1台々々精密な検査が施されます。 3台/日の速度で組立が進行し、完成モジュールは順次KEK富士実験室に運ばれて熱サイクル・常温及び 低温の連続運転試験と共に精密な機械的・電気的な検査が実施されました。完成し検査をパスした モジュールはイギリス・オックスフォード大学に輸送され、4層のバレル円筒へのモジュール組込みが 進行中です。

日本の技術を駆使した超伝導ソレノイドが完成し地下実験室へ:
アトラス実験装置の中心部には薄肉型の超伝導ソレノイドコイルが設置されて2テスラの磁場を 作ります。このコイルは、液体アルゴン電磁カロリメターの内側に入るため可能な限り物質量を少なくし、 またクライオスタットをカロリメターと共用する工夫をこらした設計になっています。 気球実験やSSC計画でKEKが独自に開発した薄いコイル技術を応用し、KEKが提案から 設計・製造を担当してきました。2000年末に性能試験に成功しました(図4)。 コイル本体や周辺機器は2001年9月にCERNに輸送され、これはアトラス実験装置の中では1番乗りでした。 2004年1-3月にCERNの地上でコイルは液体アルゴンクライオスタット内に設置され、7月に8.2 KAの電流での 励磁に成功しました。これは通常運転電流7.6 KAを7%上回る値です。2005年10月に 超伝導ソレノイドコイルを含むクライオスタットは地下実験場に無事運搬されました(図5)。

特殊LSIチップを研究者自ら設計:
アトラス実験では一千万チャンネルを越える検出器からの信号を、その場でLSIチップで処理します。 これらのチップは全て研究者によって特殊に設計されたものです。日本のアトラス研究者はミューオン 検出器用の複雑なCMOSチップを数種、独自で設計し開発しています。設計に間違いがあると半年以上が 無駄になるため細心の注意が必要でした。最も複雑なチップは微小時間差測定チップで1チップあたり 40万ゲートを使います。

新しいソフトウエアー技術でチャレンジする:
データ収集とデータ解析には計算機ソフトウエアーが必要です。膨大なプログラムを世界中の研究者の 集団で開発し使用するために、オブジェクト指向などの新ソフトウエアー技術を取り入れて開発が 進んでいます。LHC実験に不可欠な、物質中の素粒子の振る舞いをシミュレートするGeant4プログラムは、 日本の研究者の大活躍で完成しました。

世界に分散する地域データ解析センターとグリッド計画:
LHC加速器が2007年に動き出してアトラス実験が始まると、1年間に1015バイトという膨大な 量の生データが出てきます。約1万台の最新PCをもつ地域データ解析センターを世界の数ヶ所に設置し、 それらにデータを送って分散並列してデータ解析を進める計画が進んでいます。これに伴い世界に 分散する計算機資源を共有するグリッド計画がCERNを中心に新たに始まりました。日本ではアトラス実験 のためのセンターを東京大学に設置する準備が進められています。

アトラス実験の建設に加えて、KEKではLHC加速器の特殊4極超伝導マグネットの製造が進められています。 これはまた別の機会に紹介します。

※もっと詳しい情報をお知りになりたい方へ
  • →アトラス実験紹介ページ(英語)
    http://atlasexperiment.org/
  • →日本アトラスグループの広報ページ(日本語)
    http://atlas.kek.jp/old/public
  • →日本アトラスグループの写真集
    http://atlas.kek.jp/old/sub/photos
  • →KEK広報ニュース:Geant4ユーザー研究会から
    http://www.kek.jp/newskek/2002/marapr/G4UserGroup.html
  • →LHCコンピューティング・グリッド(LCG)計画のホームページ(英語) http://lhcgrid.web.cern.ch/LHCgrid/
  • 図1:LHC加速器での陽子衝突現象を観測するためのアトラスは、高さ22メートル重さ7000トンの大型の実験装置です。装置の部分は世界の各地で建設されています。拡大図
    図2:KEKで量産中のワイヤーチェンバー:50ミクロンのタングステンワイヤーを半田づけしている最中の写真。このようなチェンバーを1000台以上作り、神戸大で検査してからCERNに運ぶ。拡大図
    図3:シリコンマイクロストリップ 検出器のモジュール(長さは13cm)の写真。日本で700台を組み立てる。 拡大図
    図4:アトラス超伝導ソレノイドが東芝で完成し、 8400アンペアの試運転に成功したときの関係者の写真。後に見える円筒は中に超伝導ソレノイドコイル (直径2.5m、長さ6m)の入っている真空容器です。 拡大図
    図5: 2005年10月に超伝導ソレノイドコイルを含むクライオスタットは地下実験場に運搬された (図5,CERN Photo提供)。 拡大図